執筆者: 木ノ下 千栄(きのした ちえ)
◆生き残った五つの送り火                                      
大文字
東山如意ヶ岳の「大文字」

 京都の夏の風物詩といえば祇園祭と五山の送り火です。8月16日の夜、京の三方の山々に点火される送り火は、漆黒の夜空にくっきりと浮かび上がり、見る者を幻想的な世界へといざなってくれます。

 東山如意ヶ岳の「大文字」がよく知られているので、「大文字の送り火」ともいわれますが、正式名は「五山の送り火」であり、

1.左京区・東山如意ヶ岳大文字山の「大」
2.北区・金閣寺大文字山の左大文字(「大」)。
3.左京区・松ヶ崎西山・東山の「妙」「法」
4.右京区・曼荼羅山の鳥居形
5.北区・西賀茂船山の船形

の五つが灯されます。

 享保2年(1717年)の『諸国年中行事』という書物には、この五山以外でも送り火がされていたと記されており、市原野の「い」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、北嵯峨の「蛇」、観空寺「長刀」があったとされています。しかし、これらは早くに途絶え、現在は五山が残るのみとなっています。現在五山の送り火は京都市登録無形民俗文化財(1983年6月1日)に指定されています。

◆「大文字焼き」の間違い――送り火の意味

金閣寺大文字山の「左大文字」

 「大文字焼き」と呼ぶ人がいますが、これは間違い。五山の送り火は精霊送りのひとつで、8月7日〜10日頃にお迎えしたお精霊さん(おしょらいさん・・・ご先祖様の精霊のこと)を再び冥府に送るという盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事の一形態です。京ではこの五山の送り火によって、盆の行事が終わります。したがって、山焼きとは一線を画するもので、京都人は決して「五山の送り火」を「大文字焼き」とは申しません。


 送り火そのものの起源は、松明(たいまつ)の火を空に投げて霊を見送る風習から、山に火を灯すようになったともいわれ、これが一般に広まったのは仏教が庶民に受け入れられた中世の頃だったといわれています。

 俗説では空海がはじめたとか、足利義政が子・足利義尚(よしひさ)の早世を悼み命じたともいわれていますが、現在でも五山送り火の起源についてはよく分かっていません。

◆文字の謎アレコレ――「妙」「法」と船形の字

松ヶ崎西山・東山の「妙」「法」

 「妙」「法」の二字が同時に書かれたものでないことをご存知でしょうか? よーく、文字を見てください。左に「妙」、右に「法」の文字がありますね。昔は右読みですから、昔に二字が同時に作られたならば、山には「法」「妙」と浮かび上がらなければなりません。

 「妙」「法」の文字は、「妙」が徳治2年(1307年)に日蓮の弟子である日像(にちぞう)が書いて点火したといわれ、「法」は下賀茂大妙寺の日良(1590〜1660年)が書いたといわれています。また山の所有権の歴史をみても、「妙」のある西山・万燈籠山が昔から共有地であるのに対し、「法」の東山・大黒天山は区画ごとに所有者がいることからも、「妙」が古い歴史を持っていることが分かります。

西賀茂船山の船形

 船形については、船形は精霊を乗せて送るといわれ、俗に「精霊船」ともよばれています。起源は西方寺開祖の慈覚大師円仁が承和14年(847年)に唐の留学から帰る途中暴風雨にあい、「南無阿弥陀仏」を唱えたところ無事帰国できたことから、その船をかたどったとの俗説があります。



◆場所・日時(※各行事の日程は、天候等の理由で変更になる場合があります。)
 京都五山/8月16日 午後8時〜
 問い合わせ:京都市観光案内所 TEL 075-343-6655

◆お役立ち情報
絶好の鑑賞ポイントはここ!
送り火の点火時間情報

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