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隠れ京都案内・三十三間堂の七不思議「法住寺のそば食い木像」

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執筆者: 木ノ下 千栄(きのした ちえ)


親鸞の「そば食い木像」を訪ねて

 お正月ということで、近くにある法住寺(ほうじゅうじ)の大根だきを見に行って来ました。

あったかい湯気が立ちのぼる、大根だき。

 成人式の日に法住寺では、「お不動さま」(身代わり不動明王)に祈願をこめた大根だきが振舞われるのです(有料)。これを食べると、一年間無病息災でいられるといいます。

 老若男女でいっぱいでした〜。ちいちゃい子を連れて、遊びがてら来てみるのがオススメ!お不動さまのありがたい「牛王宝印御加持(ごおうほういんおかじ)」がいただけます。


 それからもう1つ。法住寺の「そば食い木像」がみたいと思っていたのです! そば食い木像は、三十三間堂の七不思議の1つとされています。親鸞が自分で彫った自身の御像で、親鸞の身代わりになったとされる不思議な木像です

お正月の法住寺
 法住寺(ほうじゅうじ)は、あの有名な三十三間堂のすぐ東隣にある、天台宗のお寺です。

 後白河法皇が院の御所として創建した「法住寺殿」の跡地にあたり、法皇のお墓である法華堂をお守りしています。


法住寺ってすごいお寺

昔の法住寺殿 周辺図(法住寺案内より)
 現在の法住寺は、何となく三十三間堂の影に隠れるようにひっそりと建っていますが、実は千体の観音像を安置する三十三間堂こそ、何と法住寺(殿)内のお堂に過ぎなかったのです

後白河法皇 木像 (法住寺案内より)

 そもそも法住寺は永祚元(989)年に、藤原為光が自身の夫人と息女を弔う為に創立されたそうです。

 そのころの法住寺の地域とは、現在の東福寺のあたりから北は七条通りよりさらに北におよび、東は法輪寺を除いた東山の山すそに延び、西は今の大和大路にまでおよぶ、広大な広さを誇っていました。その後、さまざまな変遷を経て、後白河天皇が保元3(1158)年に皇位を皇子の二条天皇に譲り、法住寺の場所を院の御所(法住寺殿)と定めたそうです。院の御所ということで、法住寺には二条天皇をはじめ、高倉天皇など多くの皇族の方々がこの御所に訪れ、何と高倉天皇の中宮となった平徳子(建礼門院)が入内したのもこの御所からだったそうです。

 後白河法皇は、平清盛に命じて、法住寺殿内に蓮華王院(三十三間堂)を造営させ、長寛2(1164)年には本堂が落成し、法住寺はますます盛大を極めました。

 このように後白河法皇と共にあった法住寺ですが、平清盛の死去2年後の寿永2(1183)年、木曽義仲が法住寺殿を襲い、法皇も現在下京区にある六条殿・長講堂へとお移りになったそうです。その後、建久3(1192)年に法皇が66歳で崩御すると、再び法住寺殿内の法華堂に葬られたのでした。

 明治にいたるまで、法住寺は法華堂を守ってきましたが、明治維新以降は、後白河天皇陵は宮内省の所管に移ったため、「大興徳院」という寺名で陵墓とは境域を別とするようになりました。昭和30年には「法住寺」の名前を後世に伝えるため、再び大興徳院から法住寺と復称されることとなったそうです。
 

七不思議「親鸞のそば食い木像」の由来

 法住寺は天台宗のお寺ですが、浄土真宗開祖の親鸞聖人自作の像が安置されています。この木像は親鸞聖人がご自身の姿を彫られた坐像だと言われ、次のような不思議な伝説が残っています。

不思議なふしぎな、そば食いの御像

 親鸞がまだ28歳のころ、いまだ比叡山で「範宴」という号で修行していたころのお話です。範宴(親鸞)は、比叡山仏教と異なる新しい宗教を発願し、毎夜山を下って京の都・烏丸六角にある六角堂へお参りし、明け方になっては戻ってくるということを、100日間続けていたそうです。毎晩暗くなると密に下山する範宴を見て、他の弟子の僧たちは「都にいる女の所へ通っているに違いない」と噂しあいました。

 その噂を聞いた師の慈鎮和尚は、範宴の人物を知っていたため、信じられません。しかし、範宴が毎晩山をおりているのは事実らしい。そこで、和尚はある夜突然に門下の弟子を呼び集め、一人一人の名前を呼び上げることにし、「範宴」と呼ぶと、範宴は「ハイ」と答えました。

「親鸞聖人 そばくひ御木像」の石碑。


 「範宴は下山などしていない。やはり弟子たちの間違いであった」。和尚は安心し、一同にそばを振舞われました。範宴ももちろん食べました。

 翌朝、そんなことを知らない範宴が山に戻ってくると、みな驚きました。範宴が二人いるはずはない、と騒いでいると、弟子の一人が範宴の坐像の口にそばがついているのを発見しました。何と、範宴として返事をし、そばを食べて身代わりとなったのは、範宴が自ら彫った木像だったのでした

 範宴が後に浄土真宗を開き、親鸞という名で高僧として知られるようになると、この木像は「親鸞のそば食い木像」として有名になりました。なんとも、不思議なお話ですね。

 みなさんも一度、不思議なふしぎな「そば食い木像」に会い行ってみてくださいね!


 史跡案内:東山区 三十三間堂東側
  ※甘春堂本店より徒歩約7分、甘春堂東店より徒歩約5分



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