創業 慶応元年 京菓子の老舗 甘春堂
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霜月(11月)


そろそろお歳暮が始まる時期ですね。

炉開き

冬の季節を迎えるため、昔から茶道では、陰暦10月中の亥の日に炉開きをします。江戸時代は武家は10月初亥の日、町家では第2の亥の日に炬燵開きをしたもので、火を使っても安全であるといいます。陽暦でも11月で同じ気候となって、重要な行事となり、新茶の壷の口を切って用い始める時などに、亥の子餅を使用します。

亥の子餅とは・・・★
玄猪ともいいます。旧暦10月中の亥の日、亥の子といって、餅をついて贈答します。初冬の亥の日、亥の刻(午後9時から11時)にこれを食べ、無病のまじないとする中国の俗信に基づいて、わが国でも平安朝(寛平以前)以来行なわれ、禁裡では内蔵寮から御厳重餅を調進する儀式があります。

亥の子餅を食ぺ始めた時は不明ですが、古くは、大豆・小豆・大角豆・胡麻・栗・柿・糖の七種の粉を入れた餅を作ると記されています。室町末期頃のお亥猪は、一升取り紅白楕円形の餅7個のほかに、白色と小豆黒胡麻で色をつけた赤黒の3種で、径六分の碁石のような形のものでありました。これは儀式が済んでから上下一般に下さる餅であって、初の亥の日には菊花、中の亥には楓、三度目は鴨脚にしのぶを添え、段紙あるいは杉原紙に包むとあります。また、位により餅の色も違います。武家においても鎌倉時代より行われていて、餅も儀式も多少異なっていたようです。この時天皇は亥のほうを向き、松の木で作ったツクツクと称する立鼓型の小さい臼と柳で作ったナカボソという兎の持っているような杵を用います。茶道具では水指・花入・香合にこの形を模したものがあります。

甘春堂の亥の子餅はコチラです。

●この時期のおすすめのお菓子・・・ぜんざい・しるこなど
(おいしいぜんざいは甘春堂の茶房でお召し上がりください。)

七・五・三の由来

11月15日に行なわれる3オと5才の男児、3オと7オの女児の祝儀です。この風習は比較的新しく、関東地方の慣行たったものが、現在では全国的傾向となりました。昨今の華美な服装が一般化したのは、多分に、江戸時代以来の都会の商業政策によるもので、したがって地域的差異もかなり認められます。

とは言っても、七五三の年齢が子供の成長にとって、大切な段階と考えられていたことは事実です。3オは乳児期から幼児期へのさかい目で、その時まで付紐で着ていた着物をやめ、始めて帯を着けるので「帯はじめ」「帯解き」「紐落し」などと言われました。また今までの一つ身の着物を三つ身に仕立て変えるので「三つ身祝」とも言います。頭髪の面からは、「髪置」といって始めて髪を伸ばしました。5才の男児を祝う袴着は、武家社会で多く行なわれたもので、民間ではそれほど厳格には行なわれなかったようです。5オの祝を男女共、帯を祝う地方もあります。
7オは、幼児期から少年・少女期の節目として、かなり古くから重視された。「七つまでは神の子」とも言われ、7才になって改めて氏子入りする習慣であった。子供にとって7オになることは第2の誕生とも言うべき転期であり、それまで人別帳の登録はせず、従って七つ前の死児は本葬さえ行なわなかったのでした。

この祝いを11月15日にするようになったのは、徳川綱吉の子・徳松の祝いがこの日であったからとも、又、この日が鬼宿日に当るからとも言いますが、稲の収穫祭の月と同時に氏神を祭る月であったからだと考えられます。七五三を全部足すと十五になることも興味深いですね。

ちなみに、七五三という言葉の語源を考えてみても、先に述ぺた様に新しいもので、産後の「三ツ目祝い」「五夜目」「お七夜」と行なわれる「産養(うぶやしな)いの祝」の奇数を逆に序列したものです。
「千歳飴」は、長寿の縁起もので、飴売りがこの名を考案し、七五三用として広まりました。
千歳飴
●お勧めのお菓…季節の生菓子

甘春堂の七五三のお菓子はコチラです。

お火焚(おひたき)

常に火を使う仕事をしている人が、火難けとして、隣、近所に果物、オコシ、まんじゅうを配りました。大工や、陶器などの焼物師のお火焚も現存しているが、最近では町内単位の行事になっている所が多くなりました。

●お勧めのお菓…お火焚まんじゅう・お火焚柚入オコシ


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コチラの商品もお勧めです。いかがでしょうか?


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