睦月(1月)
正月・年始まわり
「正月」は中国から来た言葉で、旧暦1月の別称ですが、現在では新暦正月の事を意味し、旧正月をわざわざ旧と断っている程です。 この正月、今では「新年おめでとう、今年もよろしく」と挨拶する程度ですが、かつては、年頭にあたり家々の先祖にあたる神の御来臨を仰ぎ、その年も稲作等の実り多き事を祈るものでありました。また、おせち料理の黒豆はマメになる様に、数の子は子孫繁栄を、蓮根は目先がよく見える様に、鏡餅の様に純白無垢で完壁になれる様に、(昔は鏡は丸のものとされていました)また、鏡餅に乗せる橙(だいだい)は代々に通じ、ゆずり葉は新葉が成長してから旧葉が落ちる事から、子が親より先立たない様にと、全て縁起の良い物を供え、正月神の祭りに加わりました。 実際には、生きている親を祝ったりしているうちに親戚同志で寄り合う様になり、いつしかお年始と呼んで、同僚や知己、勤め先・お得意先等に正式訪問して挨拶したり、参賀の式目を定めて忠誠を約束したりさせたりする様になりました。これを更に拡大したものが年賀状です。また年始まわりの最たるものが、皇居の一般参賀と考えてよいでしょう。年始まわりは、2日、3日、遅くとも松の内に行うぺきもので、親しい間柄でも長居は慎しんが方がよく、手土産には「年賀」などとして和菓子は極めて好まれます。訪問される家も新年菓、干支菓、御題菓をお茶受けに用意します。 ●お勧めのお菓子・・・新年菓・干支菓子・御題菓子 |
鏡開き
鏡餅は刃物で切らず、手または槌で割るのがしきたりです。これは本来武家社会の仕事だったため、「切る」という言葉を避けて「開く」と表現したものです。 1月11日、正月に飾った鏡餅をおろし、下げた餅は必ずアズキと共に食べる習慣がありました。しるこ等にして食べるのは、古代よりアズキは厄除作用があると考えられていたからです。宮中では正月鏡餅の一つに葩(はなびら)もちと菱餅が供えられ、これを一般庶民にもと菓子化されたものが「菱葩餅」です。現在裏千家初釜で使われていますが、京の白味噌雑煮をアレンジしたものです。 |
初釜
・表千家 常磐饅頭…千年変わらないという松の翠から、白い薯蕷饅頭に緑色に染めた白小豆を包んだものです。二つに割ると、あたかも雪をかむった松を思わせ、正月の瑞雪にも似た気品のあるお菓子。大勢の初釜等に食籠で出されたりします。 ・裏千家 菱葩餅…丸く平らにした白餅に、赤い小豆汁で染めた菱形の餅を薄く作って上に重ね、柔らかくしたふくさゴボウを二本置いて、押し鮎に見立てたものです。あんは京の雑煮にみたてて白味噌あんを使用します。 ・武者小路千家 都の春……「柳は緑、花は紅」という、言のように、京の春を、緑色と紅色で染め分けて表し、小豆あんを芯に使ったきんとん仕上げの菓子です。同千家では、点初(初釜)に用いるのが恒例になっています。干支煎餅・千代結びの組合わせは、薄茶の席に用います。 ・薮内流 葩餅…他流な方々や社中を招いての初釜とは別に、「大福茶」とよばれる、流祖をはじめ歴代に供える一服、本願寺で献じる正月の茶がそれです。新春を迎え、心身共に引き締めた中で点てる一服、その後家族そろっての一服のときに出る菓子として葩餅をあげることができます。銘々皿は「千の宇盆」を用います。 ・遠州流 紅白饅頭……紅白の饅頭を、小堀家の正式な大きさに作って、蒸したてをお出しする。口取りに結び干瓢を添えて、新しく作った片木木地盆に水をよくきかせて盛ります。薄茶には、紅白の花氷を恒例としています。 ・江戸千家 蓬莱山…初釜には以前はえくぼ饅頭をよく用いましたが、近年は蓬莱山を用いています。主菓子として小さく切った焼き餅を出します。大勢の場合は高林に盛ります。 ・松尾流 殊光餅…餅を焼かずに湯で温め、上に山根入り京白味噌をのせます、取り合せに千代結びと牧谿を使います。 ・大日本茶道学会 菱葩…祖父仙樵の頃は、箙餅に初釜に使っていましたが、宮中の雑煮の形に似せ、餅粉をのばした皮に菱形の紅の餅を入れ、味噌仕立てのあんを入れゴボウと包む、有平の若松、京種の丹頂鶴の千代の春も用います。初釜までは、「初詣」を使います。 ●お勧めのお菓子・・・常盤饅頭、花びら餅(葩餅)、都の春 |
お抹茶の一服と共に・・・ 京都の正月菓子の定番 「葩餅(はなびらもち)」 |
葩餅(はなびらもち)
京菓子は、四季折々の美しさを映して、12ヶ月の銘も整えられています。季語、年中行事に因んだ数多くの茶菓子は、茶の湯によって益々洗練され、歳時記にしても興味深いものです。ここでは宗家に使われている代表的なお菓子をとりあげてみました。 ●花びら餅(菱葩)・・・裏千家初釜 菱葩は、現在は菓子化して品位ある風雅な餅菓子となっていますが、白餅を丸く平にして赤い小豆汁で染めた菱形の餅を薄く作って重ね、ふくさゴボウを置きます。これは押鮎に見立てています(鮎は年魚と書き、年始に用いられ、押年魚は鮨鮎の尾頭を切っ取ったもので、古くは元旦に供えると『土佐日記』にあります)。また雑煮の意味で味噌を使用してあります。明治中期ごろのもので、道喜から売出したものです。初めはつき餅でしたが、最近は求肥となっています。一般に葩餅またはお葩というのは、菱餅のないもので、菱餅の重ねられたものを菱葩というのが正語です。葩は『山家集』に、花くだものといって団扁にして花弁に似たるとあり、梅や桜などの花びらに見立てたようです。毎年こま盆にのせ裏千家初釜に使用されています。 |
歌会始め
テレビなどでよく中継される歌会始めの儀は、新春にふさわしい皇室行事です。歌会始めは、歌御会始めで、古くは毎年の定めはありませんでしたが、明治2年以降は1月中旬に行なわれる様になりました。京菓子もその御題に合わせて作られてきました。今では京菓子司の腕の見せ所として、年末から正月にかけて店頭に陳列されています。また、勅題菓としてこれを好むお客さんも多いです。 ●お勧めのお菓子・・・御題菓子 |
七草の節句
正月と言えば、最近は年頭の三日間を重視しますが、昔は、15日(小正月)、二十正月陰暦1月1日を旧正月などとして祝ったものでした。わけても七日正月は小正月に先だつ重要な日とされています。 中国神話では陰暦正月を人日としました。この世の第1日目に鳥を、第2日目に狗を、第3日目に猪を、第4日目に羊を、第5日目に牛を、第6日目に馬を、第7日目に人を、第八日目に穀類を作ったといわれています。これを歳首にあてはめ、正月七日を人日とし歳の節目としたのです。 陰暦正月頃は若菜を摘む習慣があり、七草菜を食べれば万病をまぬがれるという俗信となり、正月7日に七草粥を食べる様になりました。当初はこの七草も草ではなく七穀すなわち、稲、麦、豆、粟、小豆、きび、大麦を粥に炊いたものと言われていますが、鎌倉時代にはいつしか、芹、なずな、五行、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ等、野菜や野草に変わりました。ところで、このような粥は、正月の食べすぎなどによる胃腸の休養という事にもなり、非常に合理的な祖先の長い年月をかけて学びとった直感的な生活の智恵といえます。また、宮中においても、七草行事があり、御殿菓子等で正月を祝いました。 |
小正月(成人式)
小正月(成人式) 1月15日を中心とする新年の行事。1月1日の大正月に対する呼名。十五日正月ともいいます。前夜を十四日年越しといい、年越の一つに数えます。15日の朝、粥を食べる習慣は全国に広く、心豆粥にしているところが多いようです。 現在の成人式は、昔の元服に相当します。元服とは、男子が成人の表示として、髪型をかえ、服を改め、頭には冠を加え、加冠の儀といわれ、11歳〜16歳頃が多かったようです。貴人では、童名を廃し、命名、叙位の行事がありました。武士では烏帽子をつけましたが、16世紀頃から庶民では前髪を剃る事に変わりました。女子では、「髪上」「裳着」「髪そぎ」がこれに当たります。 成人の日の趣旨は、大人になっな事を自覚し、自ら生き抜こうとする青年男女を励まし祝うものです。当日は自治体等による公の成人式が行なわれ、この日招かれた青年男女は、記念品や紅白薯蕷饅頭、赤飯等が配られます。 現在は成人式が1月第2月曜日に移行し、菓子を配る自治団体も数が少なくなってしまいました。 (関連菓子)ぜんざい |
どんど焼き
どんど焼きは左義長という昔の宮中行事が民間行事になったもので、もともと吉書を焼く儀式でしたが、お正月のお飾りを焼くようになりました。 |
二十日正月
昔の、万事のんびりした時代でも、20日を限りに正月気分を脱しました。正月用の年肴の骨や頭も、この日で食べつくすというので、骨正月、かしら正月などとも言います。ごちそうも餅も、この日でおしまい。だから当日は、年神棚にも、ほんのしるしばかり粗末な供えものを載せました。こじき正月とか奴正月とかいうのは、その為です。15日の小正月の飾りものも、20日には取り納めます。 京阪地方では近世ブリの骨を煮て食べるので骨正月といいます。ブリは小より大に至るに従って次第に名を変えます。成長につれて名が変るように人も師の教によって心の徳が増すことを祝います。師は人の孝悌(こうてい)の道を教え、天下を治める道さえも知らしめるものです。そこで、縁起のよい魚偏に師の字を書いた鰤(ブリ)を用いたと言われています。また、団子を作って食べるのでこれを二十日団子といいます。また、赤小豆餅を食べ赤飯を蒸します。 |
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